十和田神社概要: 十和田神社の創建は大同2年(807)、坂上田村麻呂が東夷東征の際、十和田湖に日本武尊の分霊を勧請し武運長久を祈願したのが始まりと伝えられています。
その後一時衰退しましたが南部氏が領主になると本領に鎮座していた白鳥の宮の分霊を勧請し再興しています。古くから天台宗と熊野信仰、十和田湖の自然崇拝との神仏混合の形態を取っていたとされ多くの修験者達の修業の場となり、恐山(下北半島)、川倉賽の河原(金木町)と共に北東北の三大霊場として信仰の対象となっていました。
江戸時代に入ると南部藩領に属し、管轄下である五戸通り(三戸郡下13カ村、北郡下15カ村)の一之宮の格式を得ていました。南部藩でも恐山と十和田神社を領内2大霊場として位置づけられていたようです。又、創建には十和田湖伝説の一翼を担う南祖坊の由緒も伝わっており十和田湖と熊野信仰との繋がりが伺え知れます。
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