歴史が感じられる福井県のまちなみ

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板取宿の町並み写真(画像)
□−板取宿−福井県南条郡南越前町板取

板取宿は戦国時代に柴田勝家が、居城である北ノ庄城と、織田信長の居城安土城を結ぶ北国街道を整備した際に開宿した宿場町です。板取宿は、越前国と近江国との国境付近に位置していた為、江戸時代には福井藩の関所が設けられていました。本陣は無かったものの、板取宿で荷物の取次が行われた為、問屋が3軒設けられ便宜が図られています。現在は衰微したものの、数棟残された茅葺屋根の古民家が風情あるまちなみを形成しています。

今庄宿の町並みを写した写真
□−今庄宿−福井県南条郡南越前町今庄

今庄宿は北国街道の宿場町として町割りされた町で、福井藩の本城である福井城の城下町から北国街道を経路とした場合、丁度、日暮れ程度で今庄に到着し、ここから峠道に入る為、多くの旅人が宿泊で利用しました。特に、江戸時代で参勤交代で北国街道を利用した福井藩は本陣である後藤覚左衛門家を定宿としました。現在でも今庄宿には歴史を感じさせる町屋建築が軒を連ね、懐かしいまちなみを見る事が出来ます。

三国湊町の懐かしい町並みを写した画像
□−三国湊町−福井県坂井市三国町北本町〜神明

三国湊町は、古代から近世にかけて、日本海の良港として知られた三国湊を擁する港町として整備された町です。三国湊は室町時代には全国数多ある港の中でも三津七湊に数えられました。江戸時代に入ると北前船の寄港地にも選定され、福井藩と丸岡藩の外港として重要視されました。明治時代に船舶の近代化や近代交通網の整備により重要性は失われましたが、北前船で富を得た商家建築の残り香が香るまちなみが残されています。

小浜西組
□−小浜西組−福井県小浜市小浜香取、小浜飛鳥など

小浜西組は、小浜藩の藩庁である小浜城の城下町として町割りされた町です。貞享元年に人口増加により町人町が混然とした為、改めて東組、中組、西組の3区画を明確に行い、特に西組の東側は商家町、西側は茶屋町、西端と南の山麓は寺町として整備されました。現在でも丹後街道沿いには商家を生業とした町屋建築、茶屋町だった地区には千本格子がある茶屋建築が残されています。小浜西組は国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。

越前大野城下
□−越前大野城下−福井県大野市

越前大野は、戦国時代に金森長近が越前大野城を築いた際、その城下町として町割りされた町です。江戸時代に入り越前大野藩が立藩すると、越前大野城には藩庁と藩主居館が整備された為、藩都として発展しました。特に城下町には福井城下と美濃国を結ぶ街道が引き込まれた為、物資の流通や旅人の往来の拠点にもなりました。又、寺町には多くの寺院が集められ、現在でも寺町らしいまちなみを見る事が出来ます。

熊川宿
□−熊川宿−福井県三方上中郡若狭町熊川

熊川宿は日本海側と京都を結ぶ若狭街道、通称鯖街道の宿場町として町割りされた町です。戦国時代には当地域を支配した沼田氏が熊川城を築いていた事から当初は城下町でしたが、熊川城が廃城になった後は物流の拠点として重要視されました。特に、熊川宿にある川湊が舟運の最終地点になった為、ここで物資の積み下ろしが行われ、江戸時代には小浜藩の藩蔵が複数設けられました。現在でも宿場町らしいまちなみが残され国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。

遠敷の町並みを撮影した画像
□−遠敷−福井県小浜市遠敷

小浜市遠敷は古代若狭国にとって重要な地域で、当地に降臨した遠敷明神が若狭国一之宮である若狭彦神社と若狭姫神社の祭神となっています。中世は若狭姫神社の門前町と、若狭街道や丹後街道の街道筋の町として整備されました。特に遠敷は市場町でもあり、多くの物資が集められました。現在でも街道沿いには古い古民家が軒を連ね、良好なまちなみが郷愁を感じさせます。

 |福井県石川県山陰地方
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