歴史が感じられる石川県の神社

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赤倉神社
□−赤倉神社−石川県七尾市三引町(赤蔵山中腹)

赤倉神社は推古天皇の御代に創建されたと伝わる神社です。天平2年、聖武天皇の皇子の眼病を祈祷と清水により平癒させた事から信仰の対象となりました。最盛期には山内に120坊を擁する大寺院として発展しましたが、周辺の大名との対立により衰微しました、明治時代初頭に発令された神仏分離令により社号を赤倉神社に改めましたが、境内には当時の堂宇の名残が見られます。

羽咋神社
□−羽咋神社−石川県羽咋市川原町

垂仁天皇の御代に、当地に巣食う怪鳥討伐に皇子である磐衝別命を派遣、見事平定しました。磐衝別命が死去すると住民達が遺徳を忍び墳墓を設けて祭ったのが羽咋神社の始まりと伝えられています。磐衝別命の後裔は地名に因み羽咋氏を名乗り、羽咋国造に就任、羽咋神社は氏神として篤く保護しました。格式も高く延喜式神名帳には式内社として記載され、磐衝別命が相撲好きだった事に因み唐戸山神事相撲が現在でも引き継がれています。

気多大社
□−気多大社−石川県羽咋市寺家町

気多大社は孝元天皇の御代に当地を開発した大己貴命を、崇神天皇の御代に祭ったと伝わる神社です。格式が高く、延暦3年には正三位、嘉承3年には従二位、仁寿3年には正二位勲一等、貞観元年には従一位勲一等に列し、延喜式神名帳には名神大社と記載され、能登国一之宮に格付けられました。歴代領主からも崇敬庇護され明応8年には畠山義元が社領を寄進し、永禄5年には畠山義綱が本殿を造営、天正元年には畠山義慶が摂社若宮神社と白山神社の本殿を造営、織田家家臣である菅屋長頼や、長頼に従った土肥親真が境内の整備に尽力しています。江戸時代に入ると加賀藩前田家の庇護となり天明7年には前田重教の命により前田治脩が本殿などを造営しています。気多大社本殿、拝殿、神門、摂社白山神社本殿、摂社若宮神社本殿は国指定重要文化財に指定されています。

白山比盗_社
□−白山比盗_社−石川県白山市三宮町

白山比盗_社は崇神天皇7年に白山の山頂を遥拝する為に設けられたと伝わる神社です。霊亀2年に安久濤の森に社殿が造営、養老元年に泰澄大師が白山の登頂を完遂すると、養老2年には山頂に奥宮が創建されています。格式が高く仁寿3年に従三位、貞観元年に正三位に列し、延喜式神名帳には式内社として記載され、加賀国一之宮に格付けられました。白山信仰が広がると、加賀国からの白山登拝口だった事から加賀馬場と呼ばれ、美濃馬場、越前馬場と共に白山三馬場に数えられました。

江沼神社
□−江沼神社−石川県加賀市大聖寺八間道

江沼神社は江宝永6年、前田利直前田利治の御霊を勧請し創建された神社です。合祀されている天満神社は宝永元年に創建された神社で、明治時代に入り一旦、那谷寺に遷されたものの、その後、江沼神社に合祀されています。庭園は大聖藩の陣屋に作庭されたもので、加賀市指定名勝に指定されています。隣地にある長流邸は国指定重要文化財に指定されています。

菅生石部神社
□−菅生石部神社−石川県加賀市大聖寺敷地ル乙

菅生石部神社は用明天皇の御代に、宮中から菅生石部神の御霊を勧請し疫病退散の祈願を行ったのが始まりとされます。格式が高く陽成天皇の御代に正五位下、天慶3年に正四位下に列し、延喜式神名帳には式内社と記載され、加賀国二之宮に格付けられました。木曾義仲や、富樫昌家、足利義持、豊臣秀吉、山口宗永、前田利長、前田利常、前田利治、前田利明などから篤く崇敬されています。

尾山神社
□−尾山神社−石川県金沢市尾山町

尾山神社に祭られている前田利家の御霊は、利家死去直後の政治状況から表立って祭る事が出来なかった事から、物部八幡神社と榊葉神明宮から御霊を勧請し卯辰八幡宮を創建し、そこに一緒に祭る形式を採りました。明治時代に入ると改めて利家を祭る神社の機運が高まり、卯辰八幡宮から御霊を遷して尾山神社を創建、卯辰八幡宮は宇多須神社に社号を改めています。

尾崎神社
□−尾崎神社−石川県金沢市丸の内

尾崎神社は寛永20年、前田光高が徳川家康を祀る為に創建した神社です。当時は金沢城の城内に鎮座し境内に10数棟の社殿等が軒を連ねた事から「金沢城の江戸」、「北陸の日光」などの異名がありました。明治11年に金沢城が陸軍省に接収された為、社殿のみが現在地に遷座しました。尾崎神社本殿、拝殿及び幣殿、中門、透塀は国指定重要文化財に指定されています。

小松天満宮
□−小松天満宮−石川県小松市天神町

小松天満宮は明暦3年、隠居城として小松城に入った前田利常が城の鬼門鎮守として前田家の遠祖で篤く信仰していた菅原道真の御霊を北野天満宮から勧請し創建された神社です。境内は北野天満宮を1/4に縮小した配置とし、別当として能順(連歌師)を招き、神具まで模したものを発注しています。小松天満宮神門、拝殿・石の間・幣殿・本殿、琴棋書画沈金台・花鳥沈金硯箱は国指定重要文化財に指定されています。

伊須流岐比古神社
□−伊須流岐比古神社−石川県鹿島郡中能登町石動山子

伊須流岐比古神社の創建由来は諸説が複数あり不詳、格式が高く延喜式神名帳には式内社として記載され、能登国二之宮に格付けられました。信仰は能登国、加賀国、越中国、越後国、佐渡国、信濃国、飛騨国に広がり、社領4万3千石、末社80余社、坊院360余を擁し白山と並ぶ一大山岳霊場として発展しました。伊須流岐比古神社本殿は承応3年に造営されたもので、石川県指定文化財に指定されています。

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