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□−穴切大神社−山梨県甲府市宝二丁目
穴切大神社は和銅年間、甲斐国主が大己貴命を祭ったのが始まりと伝えられています。延喜式神名帳で式内社として記載された「山梨郡黒戸奈神社」は当社の事され、これが事実であれば、少なくとも平安時代には既に鎮座し、当時から格式が高かった事になります。鎮座地は甲府城に近かった事もあり、江戸時代には歴代甲府城主などから崇敬庇護されました。本殿は国指定重要文化財。
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□−金桜神社−山梨県甲府市御岳町
金桜神社は崇神天皇の御代に少彦名命の分霊が勧請されたのが始まりと伝えられています。景行天皇40年、日本武尊が東夷東征で金桜神社に参拝に訪れた際、大己貴命と須佐之男命の分霊を勧請合祀し、塩海宿禰に命じてに里宮を造営しています。延喜式神名帳には式内社として記載され、最盛期には関東一面に信仰を広げ、日本三御嶽三大霊場に数えられました。
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□−那賀都神社−山梨県山梨市三富上釜口
那賀都神社は景行天皇の御代、日本武尊が大山祇神、大雷神、高オカ神の3神の分霊を勧請したことが始まりと伝えられています。天武天皇の御代に役行者小角が修験道場として開山、養老元には泰澄大師も当地で7日7晩祈祷を行いました。その後も天平7年に行基菩薩、天長8年に弘法大師空海が当地で修行を行ったとされます。明治時代初頭に発令された神仏分離令により社号を那賀都神社に改めています。
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□−大井俣窪八幡神社−山梨県山梨市北
大井俣窪八幡神社は貞観元年、清和天皇の勅願で宇佐八幡宮の御霊を祭ったのが始まりと伝えられています。格式も高く貞観5年には従五位下、天慶3年に従四位下に列し、延喜式神名帳に式内社として記載されてる大井俣神社の論社とされます。中世は、甲斐武田家の崇敬社として庇護され、武田信昌が武内社と高良社を造営、武田信虎が拝殿や神門を造営などが行われています。多くの社殿が国指定重要文化財に指定されています。
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□−美和神社−山梨県笛吹市御坂町二之宮
美和神社は日本武尊が塩海足尼に命じて大神神社の御霊を祭ったのが始まりと伝えられています。格式が高く、貞観5年に従五位に列し、延喜式神名帳に式内社として記載されている杵衡神社とされ、光孝天皇の御代に甲斐国二之宮に定められています。中世は甲斐武田家、その後も歴代領主が保護に努めています。例祭で奉納される「美和神社の太々神楽」は山梨県指定無形民俗文化財に指定されています。
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□−甲斐国一宮浅間神社−山梨県笛吹市一宮町一宮
甲斐国一宮浅間神は垂仁天皇8年に木花開耶姫命・大山祇命・瓊々杵命の三柱を祭ったのが始まりと伝えられています。格式が高く、延喜式神名帳で名神大社として記載され、甲斐国一之宮として広く信仰を広げました。中世は甲斐武田家から庇護され天文19年には武田信玄が般若心経(国指定重要文化財)や国次の太刀(山梨県指定文化財)を奉納しています。
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□−熊野神社−山梨県甲州市塩山熊野
熊野神社は大同2年に紀州熊野本社の御霊を祭ったのが始まりと伝えられています。後白河法皇の勅願で六神六社の社殿を造営しました。本殿の2棟は文保2年に造営されたもので、一軒社隅木春日造、檜皮葺、国指定重要文化財に指定されています。拝殿は天文18年に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、茅葺、桁行五間、梁間三間、外壁は吹き放し、国指定重要文化財に指定されています。
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□−菅田天神社−山梨県甲州市塩山上於曽
菅田天神社は承和9年、仁明天皇の勅命で藤原伊勢雄が飯高浜成に命じて勧請したのが始まりとされます。寛弘元年、一乗天皇の勅命により菅原道真を祭るようになり社号を菅田天神社に改めています。中世は甲斐源氏の守護神として崇敬され、新羅三郎義光が源頼義から譲り受けたと伝わる小桜韋威鎧兜は国宝に指定されています。
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□−武田八幡宮−山梨県韮崎市神山町北宮地
武田八幡宮は、名称のごとく甲斐武田家と関係が深い神社です。武田信義が白山城を築くと、武田八幡宮を氏神に定め、砕石には「西の武田八幡、東の窪八幡」などと称され特別な待遇を受けました。武田家が滅ぶと徳川家家臣平岩親吉が社殿を造営するなど保護しています。武田八幡宮本殿は天文10年に武田信玄、義信父子が造営したもので三間社流造、檜皮葺、国指定重要文化財に指定されています。
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□−河口浅間神社−山梨県南都留郡富士河口湖町河口
河口浅間神社は貞観7年、富士山の火山鎮護の為、浅間大神を祭ったのが始まりとされます。格式が高く、甲斐国一之宮とされ広く信仰されました。特に江戸時代には谷村藩の藩主の庇護となり、慶長11年の火災後に鳥居成次が再建に尽力し、慶安3年には秋元富朝、寛文9年と貞享2年には秋元喬知が社殿の修理を行い、元禄10年には大鳥居と絵馬の奉納、元禄15年に金銅製絵馬を奉納しています。
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□−北口本宮冨士浅間神社−山梨県富士吉田市上吉田
北口本宮冨士浅間神社は垂仁天皇の御代に木花開耶姫祭ったのが始まりと伝えられています。歴代領主から崇敬庇護され、延暦7年には紀朝臣豊庭、仁和3年には藤原當興朝臣、貞応2年には北条義時が社殿を造営しています。文禄3年には浅野氏重が西宮本殿を造営、元和元年には鳥居成次が本社本殿・拝殿・幣殿を造営、寛永10年には秋元泰朝が「三国第一山」の扁額を奉納しています。
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