五箇山念仏道場概要: 五箇山は中世以降、蓮如上人が越中で浄土真宗を布教していた関係で高弟である赤尾道宗や明栄が行徳寺、西勝寺などを開山しました。
蓮如上人は室町時代の浄土真宗の高僧で、本願寺8世に就任すると浄土真宗布教と共に本願寺の再興に尽力し本願寺の中興の祖と言われました。弥七(弥七郎)は越中国五箇山赤尾谷の出身で蓮如から教化を受け道宗の名を授けられると出身地の地名から赤尾道宗を名乗り、浄土真宗を五箇山一帯に広める事に尽力し特に「道宗二十一箇条」を制定し信者達に教義の理を諭しました。
道宗は行徳寺(南砺市西赤尾)や道善寺(南砺市新屋)を開くと共に集落には真宗道場を設けて信仰を広め往生人や妙好人として自らも信仰の対象となっています。
明栄も蓮如上人を師事し直接真筆名号を賜ると五箇山に入り西勝寺(南砺市利賀村)を創建しています。西勝寺は五箇山の中にある浄土真宗の寺院の中では最もと歴史が深く、戦国時代には一向一揆の最大拠点となった石山本願寺を支援し間接的に織田信長と対立しています。
江戸時代に加賀藩からも庇護され寺格の高い寺院として寺運も隆盛し大きな影響力がありました。このような経緯から、五箇山一帯の住民は真宗の信徒となり各集落には念仏道場が設けられ戦前までその活動は続けられました。
念仏道場は一般的な寺院建築とは異なり住居兼用の内道場で外観や規模は他の民家とさほど変わらないものの、屋根は入母屋で正面には向拝を設け、内部は内陣や外陣で構成されていました。戦後、多くの道場は寺院として各付けられましたが、現在でも五箇山では当時の念仏道場建築が点在し当時の名残が見られます。
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