図書家(相倉集落)概要: 相倉集落(富山県南砺市:旧平村)は、平安時代後期に行われた源平合戦の1つ倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲(源義仲)に敗れた平家一門が隠れ住んだと伝えられる平家の落人伝説が残る集落で、図書家はその子孫と伝えられています。図書家は代々村や集落の重役を歴任し、天文21年(1552)には図書了観が東方道場(後の相念寺)の創建に大きく関り「五箇山十日講門徒連判状」にも名を連ねています。
東方道場は昭和24年(1949)に本山から寺院として認められ相念寺になると引き続き住職となり集落の信仰的な支柱となっています。
主屋は400年から500年前に建てられたと伝えられる建物で、木造3階建、切妻、茅葺、平入、合掌造り、集落でも水捌けの良い高台で南側向き、玄関部にはむくり付の屋根、外壁は真壁造り、素木板張り、相倉集落が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された際、伝統的建造物の「建築物」に指定され相倉集落の中でも格式の高さが窺えます。
又、皇室関係者も度々利用されており、皇太子殿下は「五箇山をおとずれし日の夕餉時森に響かふこきりこの唄」、秋篠宮殿下は「暮らし映す合掌造りの町並みを見つつ歩めり妹を吾子らと」の御歌を残しています。
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