歴史が感じられる石川県の仏閣

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永光寺
□−永光寺−石川県羽咋市酒井町

永光寺は正和元年、黙譜祖忍が瑩山紹瑾和尚を招いて創建された神社です。元亨3年には後醍醐天皇の勅願で道場として定められ、足利尊氏の発願した安国寺利生塔が当寺に造営された事で事で最盛期には30余の堂宇、20余の支院を擁し能登国随一の禅寺と称されました。洞谷山置文(附瑩山紹瑾所用木印)は鎌倉時代に瑩山紹瑾によって筆されたもので国指定重要文化財に指定されています。

妙成寺
□−妙成寺−石川県羽咋市滝谷町

妙成寺は永仁2年、芝原将監が日乗上人を招いて創建した寺院です。前田家が篤く庇護し、寺領は121石に及び大名に準じる格式を得ています。特に前田利常の生母である寿福院が日蓮宗を帰依していた事から様々な堂宇が寄進され、死没後は菩提寺となっています。万治2年には前田綱紀がる寿福院と浩妙院の御霊屋を造営しています。妙成寺本堂、祖師堂、二王門、五重塔、経堂、書院 、三光堂、三十番神、庫裡、鐘楼の10棟が国指定重要文化財に指定されています。

大乗寺
□−大乗寺−石川県金沢市長坂町

大乗寺は弘長元年、富樫家尚が澄海和尚を招いて創建した寺院です。鎌倉時代後期に徹通義介禅師が曹洞宗の寺院として改宗開山し、当地方の曹洞宗布教に大きな影響を与えます。戦国時代の兵火で境内が大きな被害を受けましたが、その後に領主となった前田家の家臣加藤重廉が再興に尽力し、江戸時代には加賀藩家老本多政均が本多家の菩提寺としています。

宝円寺
□−宝円寺−石川県金沢市宝町

宝円寺は天正11年、前田利家が大透圭徐禅師を招いて創建した寺院です。創建当初は府中城の城下に境内を構えていましたが、天正9年に利家が七尾城に移るとその城下にも宝円寺(現在の長齢寺)が創建され、天正11年に金沢城に移ると改めて当地にも宝円寺が創建されています。慶長4年、利家が死去すると宝円寺で葬儀が行われ菩提寺となり元和6年に現在地に移り、寛文9年に前田綱紀によって境内が整備されています。

天徳院
□−天徳院−石川県金沢市小立野4丁目

天徳院は元和9年に前田利常が、正室である珠姫の菩提を弔う為巨山泉滴和尚を招いて創建した寺院です。元禄6年、前田綱紀は父親である前田光高の50回忌法要に合わせ黄檗式の堂宇が造営されています。明和9年には前田重教により火災で焼失した堂宇を再建しています。天徳院は珠姫と光高、重靖の菩提寺で墓碑が建立されていましたが、現在は何れも前田家の墓域である野田山に改葬されています。

那谷寺
□−那谷寺−石川県小松市那谷町

那谷寺は養老元年、泰澄大師が霊夢に出現した千手観音を模した本尊を彫刻し、霊地である岩窟内に祭って創建したと伝わる寺院です。寛和2年、花山法皇が当地を訪れた際、西国三十三観音霊場全ての霊気を感じ取った事から総納霊場と定め、1番札所の那智山青岸渡寺の「那」と33番札所の谷汲山華厳寺の「谷」を取って那谷寺と寺号を改めました。江戸時代は加賀藩前田家の庇護を受け、多くの堂宇が再建されています。

總持寺祖院
□−總持寺祖院−石川県輪島市門前町門前

總持寺祖院は天平年間、行基菩薩によって創建されたと伝わる寺院です。元亨元年に瑩山紹瑾が住職に就任すると、曹洞宗に改宗し寺号を「總持寺」に改めています。元亨2年に後醍醐天皇から「總持寺」の勅額を賜り、その後も後村上天皇、後奈良天皇、後陽成天皇、後光明天皇から綸旨が下賜されました。江戸時代に入ると加賀藩前田家の庇護を受け寛保3年には前田吉徳が経堂を寄進しています。

阿岸本誓寺
□−阿岸本誓寺−石川県輪島市門前町南カ

阿岸本誓寺の創建は不詳、文永5年に善了法師が如信上人に感化され浄土真宗に改宗し寺号を「阿岸本誓寺」に改めています。阿岸本誓寺は能登地方での一向一揆の拠点として大きな役割を持ち、石山合戦の際にも石山本願寺の顕如上人を支援しています。本堂は寛政4年に造営されたもので棟梁は越後国三嶋郡間瀬村出身の篠原嘉左衛門藤原副重、石川県指定文化財に指定されています。

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