歴史が感じられる山梨県の仏閣

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甲斐善光寺
□−甲斐善光寺−山梨県甲府市善光寺3丁目

甲斐善光寺は永禄元年、武田信玄が智冠鏡空上人と栗田永寿を招いて創建した寺院です。武田家が滅んだ後は、徳川家や豊臣家の家臣加藤光泰などによって庇護されています。江戸時代には徳川家の祈願所として浄土宗甲州触頭を勤め、多くの寺領が認められています。甲斐善光寺本堂は寛政8年に造営された東日本最大の木造建築で単層裳階付二重の撞木造、山門と共に国指定重要文化財に指定されています。

東光寺
□−東光寺−山梨県甲府市東光寺3丁目

東光寺は保安2年、新羅三郎義によって創建された寺院です。弘長2年、蘭渓道隆が改宗開山を行い現在の寺号である東光寺に改めています。天文年間、武田信玄が再興し甲府五山に定め篤く庇護し、諏訪頼重(諏訪領主)と武田義信(信玄の嫡男)の幽閉地となっています。東光寺仏殿は天文年間に造営されたもので、入母屋、檜皮葺、一重もこし付、唐様仏殿、国指定重要文化財に指定されています。

清白寺
□−清白寺−山梨県山梨市三ケ所

清白寺は南北朝時代に、足利尊氏が清渓通徹を招いて創建された寺院です。清白寺仏殿は応永22年に建てられたもので木造平屋建、入母屋、桧皮葺、方三間裳階付仏殿、国宝に指定されています。清白寺庫裏は元禄6年に造営されたもので、木造平屋建て、切妻、茅葺、妻入、国指定重要文化財に指定されています。清白寺本堂は江戸時代中期に造営されたもので山梨市指定文化財に指定されています。

雲峰寺
□−雲峰寺−山梨県甲州市塩山上萩原

雲峰寺は天平17年、行基菩薩が当地に出現した十一面観音を模した本尊を自ら彫刻し創建したと伝わる寺院です。戦国時代には甲斐武田家から居城である躑躅ヶ崎館の鬼門鎮護として篤く庇護され武田信虎や武田信玄が堂宇を造営しています。雲峰寺本堂、庫裏、仁王門は武田信虎が再建したもので正徳6年造営された書院と共に国指定重要文化財に指定されています。

恵林寺
□−恵林寺−山梨県甲州市塩山小屋敷

恵林寺は元徳2年、二階堂貞藤が夢窓疎石を招き創建したと伝わる寺院です。永禄年間、武田信玄が快川紹喜を招き再し自らの菩提寺に定めました。元亀4年、信玄が死去すると、天正4年に武田勝頼が喪主となり葬儀を行われています。天正10年、武田家が滅んだ際、兵火は恵林寺まで及び快川紹喜は三門の楼上で焼死しています。恵林寺四脚門は桃山時代に建てられたもので、国指定重要文化財に指定されています。

大善寺
□−大善寺−山梨県甲州市勝沼町勝沼

大善寺は養老2年、行基菩薩が当地に出現した薬師如来を模した本尊を彫刻し創建したと伝わる寺院です。古代甲斐国の豪族三枝氏と関係が深く、諸堂の造営が行われ、その後も朝廷や為政者などから篤く庇護されています。大善寺本堂(薬師堂)は正応4年に鎌倉幕府執権北条貞時が再建したもので、木造平屋建、単層寄棟、檜皮葺、桁行5間、梁間5間、国宝に指定されています。

本遠寺
□−本遠寺−山梨県南巨摩郡身延町大野

本遠寺は慶長14年、養珠院が久遠寺22世心性院日遠上人を招いて開いた寺院です。境内は養珠院の子供である徳川頼宣と徳川頼房が整備し、正保3年には3代将軍徳川家光から260石の朱印状を賜わっています。承応2年に養珠院が死去すると菩提寺となり、徳川家から篤く庇護されています。本遠寺本堂は慶安3年に造営されたもので木造平屋建、入母屋、桧皮葺、国指定重要文化財に指定されています。

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